ゲーム開発者の関雅行(せきまさゆき)さんの若い頃の伝説エピソードをご紹介します!
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伝説①「燃えプロ」のバグの真相が面白すぎた!
「燃えプロ」のバグの真相
- デバッグが不完全なまま経営判断で発売したから
- 開発者がヤクルト過ぎすぎて当時の「ホーナー旋風」に衝撃を受け、能力値を上げる指示を出したから
関雅行さんが開発した「燃えプロ」ですが、とてもバグが多かったゲームとして有名です。
そのバグの真相が面白すぎました。
「燃えプロ」の概要、起こったバグについて、バグの真相についてまとめていますのでご覧ください。
「燃えプロ」ってどんなゲーム?

「燃えろ‼プロ野球」は野球ファンだけでなく多くの人がハマった歴史的な名作です。
発売日には販売店で大行列ができるほどで、生産が間に合わないほどの爆発的な売れ行きだったようです。
定価5,500円のソフトが約160万本の大ヒットとなります。
それまでファミコンで人気のあった野球ゲームは『ベースボール』や『ファミリースタジアム』でした。

燃えプロはいままであったゲームとは違い、TV中継風のプレイ画面と合成音声、12球団の選手がほぼ実名で登場するという当時としては豪華な仕様で注目を浴びました。

グラフィック面に関して「初めてアメリカの野球中継を見たときのよーな気分」、「TVの野球中継の感じを、うまーく再現している」、「まるでテレビの野球中継を観ているよーな、サービス満点、超リアルな野球ゲーム」など現実の野球中継の再現度に関して絶賛する声が多く、「燃えプロ」の世界観に惚れ込んだゲーマーも多かったようです。
まるっきり違いますね!
当時の野球好きからすれば革命的なゲームだったんじゃないかと思います!
ただ、リアルさにこだわるあまり、ゲームテンポは間延びしがちでした。
以下のような演出も忠実に再現されているため、とにかく1試合終わるのに時間がかかります。
これらの演出を途中でスキップできれば問題ないが、なぜかできない仕様となっています。
初めてやるときはまだいいかもしれませんが、毎回となると相当きついですね(^^)
ファミスタなら1試合だいたい20分ぐらいで終わりますが、燃えプロは50分ぐらいかかります。
友人同士で対戦モードで対戦すると1試合あたり1時間近くかかることもザラです。
当時のお母さんたちは、いつまでたってもゲームをやめない息子にイライラしていた人も多かったのではないでしょうか?
さらに「燃えプロ」はバグが多いことでも非常に有名でした。
バントでホームランが打てるといった「バントホームラン」をはじめ、様々な問題も発生し物議をかもしたゲームでもあります。
「燃えプロ」のバグってどんなバグ?
「燃えプロ」は発売初日から様々なバグのため、販売元のゲーム会社「ジャレコ」にクレームの電話が殺到したようです。
バグを修正するためには、今のようにデータのみ配信すればよいわけではなく、製品を回収し、パッケージを破壊して中のROMを差し替えるという過酷な作業だったので、ケガ人を出しながらも、社員総出で徹夜で改修作業を行ったようです。
バグの真相は?
「燃えプロ」は多くのバグが起こりましたが、最も有名なバグは、寝かせたバットにボールを当てただけでホームランになる「バントホームラン」でした。

これ、リアルにこだわってるからめっちゃ時間をかけて9回まで戦って、接戦の時に最後このバントでサヨナラホームランやられたら、ゲーム壊したくならない笑?
「バントホームラン」が起こった原因は、開発者の関雅行さんが当時のヤクルトスワローズの助っ人外国人「ボブ・ホーナー」の大活躍に衝撃を受けていたことが大きく関係しているようです。

当時ヤクルトスワローズの助っ人外国人のボブ・ホーナー選手は来日直後から、4試合で11打数7安打、本塁打6の他の追随を許さない圧倒的な活躍をしていました。
「ホーナー旋風」を巻き起こし、シーズン終了までにいったい何本打つのだろうという期待にファンは心を踊らせていました。
同年のオールスターゲームにもリーグ一塁手部門で選出されています。
関雅行さんはヤクルトファンだったからか、ホーナーの凄さに人一倍敏感で、来日直後から本塁打連発で活躍しまくるのを見て、
「(ホーナー選手の)ミート指数とパワー指数をあげろ」
と部下に指示をだしたことがバントホームランのバグに繋がったと後の取材で語っておられます。
「ホーナーがとにかくすごかったんです笑」
「ヤクルトファンですからね笑」
当時はケガ人も続出する中での改修作業で笑えなかったと思いますが、今となっては笑い話になってるのか、あっけらかんと伝説級のゲームのバグの真相について語っておられます。
また、根本的なバグの原因としては、「燃えプロ」の開発期間はおよそ半年程度と短く、完成間近の状態でまだデバッグが完全ではない状態であったが、ジャレコの経営的な判断により早期の発売が望まれたため、不完全なまま発売されることになったことがバグが多かった原因のようです。
ユーザーからクレームが来るたびに新データを入れ込み販売を行った結果、「燃えプロ」にはいくつものバージョンが存在します。

「燃えプロ」に多くのバグが発生した原因は、ゲーム開発会社の経営判断で十分なデバック作業を行わず不完全のまま発売したことと、開発者の関さんがヤクルト好きすぎて、助っ人外国人ホーナーの異次元の活躍に衝撃を受け、ゲーム内の同選手の能力値を上げる指示を出したことが原因だったようですね。
伝説②野球愛がすごすぎた!
「燃えプロ」の革新的なところ!
- 革新的な「野球中継風」のリアルなプレイ画面!
- 上下左右の投げ分けで臨場感あるプレー!
- リアルなチーム数と選手数で監督になったつもりで采配!
野球好きの関雅行さんのこだわりを詰め込んだ「燃えプロ」!
ゲーム会社「ジャレコ」在籍時の関雅行さんは、当時ファミリーコンピューターの野球ゲームは任天堂から発売された「ベースボール」(1983年)しかない状態であったことから、他の野球ゲームを作るべく開発に着手しました。
「ファミスタ」の登場で一度中止に!
開発中に、ナムコより「プロ野球ファミリースタジアム」という伝説になっているゲームが発表され、「これはすごい!これは超えられない!」ということで開発中止に追い込まれてしまいます。
野球が好きすぎて諦められない関さんは、野球ゲームの制作を諦めきれず違う路線(野球観戦ノリ)での開発を続け、様々な点で他のゲームとの差別化に成功し1987年6月26日に発売することが出来ました。
革新的な「野球中継風」のリアルなプレイ画面
最大の特徴はTV中継さながらの、リアルなプレイ画面です。

関さんの野球好きが活かされているでしょうね!
細部へのこだわりがすごいです。
ホームランを打たれたあとにガックリとうなだれる投手の描写など、野球好きならではのこだわりが光ります。

そのシーンがこちらです。
1987年でこのガッカリした感じをしっかりと表現できるのって本当にすごいですね。
上下左右の投げ分けによる高度な駆け引き
これによって、従来の野球ゲームにあった上方からのアングルと違い、投手はボールを左右のみでなく上下に投げ分けることが可能となり、打者もそれに対応してバットを上下左右にコントロールすることで、高度な駆け引きを楽しむことができ、臨場感あるプレーを楽しめるというのが売りでした。
リアルなチーム数と選手数で監督になったつもりで采配!
また、当時の他社の野球ゲームに比べると、「チーム数」と「各チームの選手数」が格段に多く(ファミコン用の野球ソフトで初めてセ・リーグ・パ・リーグ全球団が収録された)、さらに「選手名と背番号がほぼ一致していた」ため、プレイヤーはプロ野球チームの監督になったつもりで選手交代などの采配を奮うことができ、野球好きには嬉しい仕様になっています。
ほかにも、特徴のある選手の投球フォームや打撃フォームを表現している点、投手交代時やホームランの際の演出、合成音声の使用など、野球ファンの心をくすぐる仕様がふんだんに盛り込まれていました。
これ、現在人気の野球ゲームでは当たり前になっていることですが、それは「燃えプロ」から始まったことだったんですね。
関さんの野球愛がすごかったからこそ、野球好きのかゆいところに手が届く野球ゲームが誕生したんですね。
まさに「燃えプロ」は「野球ゲームの歴史を変えた」ゲームといえるかもしれませんね!
伝説③すごい数のゲームを開発!その数60以上!
ゲーム開発一筋の関雅行さん
ファミコン、スーパーファミコン、ゲームボーイ、プレイステーション、と携わってきたゲームは60以上!
関雅行さんはゲーム会社「ジャレコ」でゲーム開発などを担当したあと独立し、ゲーム会社「ヘクト」を設立しゲームの開発を続けています。
これまで携わってきたゲームは60以上と、すごい数のゲームの開発に関わっています。
その数なんと60以上です。
そんな数のゲーム開発できます?
めっちゃくちゃすごいですね!
関雅行さんの代表作一覧
そんな関さんの開発したゲームの代表作の一部を紹介致します。
関雅行さんの代表作を画像で時系列順に振り返り
関雅行さんが携わったゲームを時系列順に画像で振り返りましょう。
1983年〜1989年
関雅行さんの1983年から1989年までの代表作をまとめました。

1990年〜1994年
関雅行さんの1990年代前半の代表作をまとめました。

1995年〜2000年
関雅行さんの1990年代後半以降の代表作をまとめました。

関雅行(せきまさゆき)さんとは?【激レアさん】

- 名前:関雅行(せきまさゆき)
- 生年月日:1948年(74歳)
- 生まれ:東京
- 代表作:「燃えろ‼プロ野球」(1987年)
関さんはゲーム会社「ジャレコ(現シティコネクション)」で様々なゲームの開発に携わり、そこで約160万本を出荷する大ヒットとなった代表作「燃えろ‼プロ野球」を開発しています。

通称「燃えプロ」として多くの人に愛されたゲームは、独立前の1987年に発売されています。
当時の「燃えプロ」の人気は凄まじく、50〜60代くらいの方なら一度は遊んだことがある人も多いのではないでしょうか?
テレビで話題となる度にその懐かしさからX(旧twitter)がざわつきます!
2023年の10月16日放送の「激レアさんを連れてきた。」でも取り上げられるようで、話題となっています。
その後、1998年の40歳の時に独立しゲーム会社「ヘクト」を設立し、2000年代初頭までシュミレーションゲーム中心に多くのゲームを作っています。
74歳になられる関雅行さんですが、今でもゲームの開発を精力的に行っており、「人生最後」と銘打っている新たなゲームを開発しているようです。
開発しているゲームは「めざせ健康 寺神社巡り」というウォーキングしながら寺や神社を巡ることができるゲームのようです。
あれ?野球じゃないんだ。。

現在はご高齢になり、野球よりも寺や神社に興味が移っているのかもしれませんね笑。
74歳になってもやりたいことに取り組む姿勢はとてもすごいですね!
自分も関さんのように何歳になっても挑戦しつづけていきたいと思いました。
リリースが楽しみですね!
ご高齢の方に特に需要がありそうですね(^^)
まとめ
関雅行さんの若い頃の伝説エピソード3選をご紹介しました!
関雅行さんは伝説のゲーム「燃えろ‼プロ野球」をはじめ、60以上のゲームを開発してきたゲーム開発者です。
「燃えプロ」のバントホームランのバグの真相は、関雅行さんのヤクルトスワローズ好きが大きな原因だったようですね!
関さんは74歳になった今も新たなゲームを開発しており、リリースが待ち遠しいです(^^)
最後までお読みいただきありがとうございました。